2017.09.13 Wednesday
【実家片づけを考える本】同居の場合はどうなのか問題
『【実家片づけを考える本】実家は自分の家かそうじゃないか問題』、考えるきっかけにしてくださった方がいて、嬉しく思います。
私の周囲にはわりと「実家は行く家、帰る家じゃない」人が多くて、実際の割合はどうなんだろう?と思ったり。
が、言葉足らずだったか、というか想定してなかったケースはどうよ?と思ったので「同居の場合はどうなのか問題」について、今考えていることを書きます。
(okayuさん、ごめんね、そして考えるきっかけくれて、ありがとう。
わたしは、あの流れで処分しました、となってても、そーだよねー、と思ってた。)
考えるきっかけになった本はこちら。
堀川波『実家スッキリ化』
同居でも別居でも自分のものじゃないものを勝手に捨てるのは基本的にNGだと私は思います。
なぜなら、自分がされたら嫌だから。
でも人によって「勝手に」が嫌な人、「捨てる」が嫌な人、平気な人がいるだろうから、そこはケースバイケースかも。
所有者が管理責任を果たしていないなら、ありだと思います。
同居の親が使ってないもの、これからも使わないもの、把握できていないものを処分するのは、管理者の権限でしていいと思う。(ダメだと思う人もいていいし、今の私がそう考えるだけです)
だって管理するのは、管理者だもの。管理者、大変だもの。管理者が楽なようにしたらいいと思います。ストレスを我慢する必要はないと思う。
「私は家は生きているものだと思っています。家を生かしているのは、そこに住む人です。暮らしながら手入れをして、家が喜ぶことをしてあげられたらと思います。」(堀川波『実家スッキリ化』p106)
キーワードは「手入れ」。
手入れ、してるかどうかがキモ。
所有するからには、管理する責任が生じる。
管理するというのは、モノといい関係を築けること。
具体的には、家に迎え入れてから、居場所も用意し、それを覚えていて、適切に使用して、消耗して、最後は送り出すこと。
しまいこんでて忘れてる、使ってない、使わない、というのはそれができてないわけだから、モノに対しても、空間に対しても失礼。
でも誰かが管理しなくちゃならなくて、その責任を肩代わりしている人がいるなら、その人の権限でどうするか、決めていいと思う。
いつも使っているものだけを使いやすいように収めます。→一軍
使っていない、これからも使わないもので本人も手放していいものは処分(方法は、ウエスだったり、リサイクルだったり)。→戦力外
使っていない、これからも使わないもので本人が手放したくないものは、別の袋にまとめます。(我が家の夫のシーズンオフの靴下は透明ジップロックに入れています)→本人にとっての二軍
二軍は、よく使うもののそばに置いておきます(下とか奥とか。袋なのでまざらない)。
明らかに使わないとわかっていて手放したくないもので、収まりきらないものは、別の袋へ。→三軍
三軍が1年、2年の保留期間を経てもお呼びがかからなければ(ほぼかからないとは思いますがもしもに備えて)、その時点で「勝手に処分」してもいいんじゃないか、と私は思います。
理由は、「思い出せないということは、管理責任を果たしていないから」です。
自分のスペースじゃない、と割り切って、気にしないことにする。
夫の靴下は管理(洗濯してしまって補充して)しているから、気にしますし、手も口も出すけれど、彼のプライベートスペースなら、任せます。もしスゴイことになっていても、気にしない。
そして、自分のスペースを整えることに力を注ぎます。
こっそり勝手に捨ててみて、様子を見る。
気づかないなら、それはそれでいいのでは。
理詰めで暴れ堂々と捨てる。
「もっとええのん、こうたるから!」と松居一代方式を試す。
正直、アドバイスになるようなことは何も言えません。
私自身が同居の経験がなく、祖母につらく当たられる母を見て育ちました。
円満に暮らしていくためには、嫁の努力よりも、迎える側の気遣いが必要、に尽きると思います。
だって、もともとずっとそこに暮らしていた人と、これから暮らす人の暮らしやすさは比較にならないもの。すでに出発点からフェアじゃないもの。ものすごいハンデがあるんだから、ハンデの分、気遣いが必要なのは当然。
私の尊敬する叔母は、それができる人でした。というか今もしてます。
「水くさいくらいがちょうどいいのよ」
本当にそう思います。
なので、嫁が頑張っても限界がある。
迎える側が努力しようよ。
双方努力は必要だろうけど、迎えるほうが多めでやっと「結果の平等」が得られると思うから。
なので、そこそこ、頑張ってるなら、わたし、頑張ってるー!ここまではするけど、これ以上はしない、以上!でいいと思います。といっても難しいと思いますが。
というか、好きで一緒に暮らそう♡って決めた関係じゃないにも関わらず、一緒に暮らしてるだけでも今の時代には大変難しいことをなしえている。
誰のおかげで今のこの暮らし、できてると思ってるの。
と、こっそり、思っていいと思います(言うとカドが立つから、思うだけ)
考え方は、人それぞれ。
一度の人生だから、自分が楽に、気持ちよくいられる思考を選択できる自分でありたいと思います。
それを応援できる自分で、ありたい。
同居してないお前に何がわかるー!!!という思いも、ありです。めちゃくちゃありです。
私だったら絶対そう思います。
あなたがどう思うか、自由です。限りなく自由です。
どう伝えるか、はちょっと考えたほうがいいかもだけど、とにかく思いは、自由です。
ちょっとしんどいなー、なあなたの今日一日が自由で、楽で、楽しいものでありますように。
浜松のライフオーガナイザー、トトノエルの東條真紀でした。
お問い合わせはこちらからどうぞ(^_^)
ポチ!の応援励まされています。ありがとうございます。^^私の周囲にはわりと「実家は行く家、帰る家じゃない」人が多くて、実際の割合はどうなんだろう?と思ったり。
が、言葉足らずだったか、というか想定してなかったケースはどうよ?と思ったので「同居の場合はどうなのか問題」について、今考えていることを書きます。
(okayuさん、ごめんね、そして考えるきっかけくれて、ありがとう。
わたしは、あの流れで処分しました、となってても、そーだよねー、と思ってた。)
考えるきっかけになった本はこちら。
堀川波『実家スッキリ化』
同居の場合、勝手に捨てちゃダメ?
同居でも別居でも自分のものじゃないものを勝手に捨てるのは基本的にNGだと私は思います。
なぜなら、自分がされたら嫌だから。
でも人によって「勝手に」が嫌な人、「捨てる」が嫌な人、平気な人がいるだろうから、そこはケースバイケースかも。
同居だけど勝手に捨ててもいいと私が考えるケース
所有者が管理責任を果たしていないなら、ありだと思います。
同居の親が使ってないもの、これからも使わないもの、把握できていないものを処分するのは、管理者の権限でしていいと思う。(ダメだと思う人もいていいし、今の私がそう考えるだけです)
だって管理するのは、管理者だもの。管理者、大変だもの。管理者が楽なようにしたらいいと思います。ストレスを我慢する必要はないと思う。
「私は家は生きているものだと思っています。家を生かしているのは、そこに住む人です。暮らしながら手入れをして、家が喜ぶことをしてあげられたらと思います。」(堀川波『実家スッキリ化』p106)
キーワードは「手入れ」。
手入れ、してるかどうかがキモ。
所有するからには、管理する責任が生じる。
管理するというのは、モノといい関係を築けること。
具体的には、家に迎え入れてから、居場所も用意し、それを覚えていて、適切に使用して、消耗して、最後は送り出すこと。
しまいこんでて忘れてる、使ってない、使わない、というのはそれができてないわけだから、モノに対しても、空間に対しても失礼。
でも誰かが管理しなくちゃならなくて、その責任を肩代わりしている人がいるなら、その人の権限でどうするか、決めていいと思う。
私だったらどうするか A案
いつも使っているものだけを使いやすいように収めます。→一軍
使っていない、これからも使わないもので本人も手放していいものは処分(方法は、ウエスだったり、リサイクルだったり)。→戦力外
使っていない、これからも使わないもので本人が手放したくないものは、別の袋にまとめます。(我が家の夫のシーズンオフの靴下は透明ジップロックに入れています)→本人にとっての二軍
二軍は、よく使うもののそばに置いておきます(下とか奥とか。袋なのでまざらない)。
明らかに使わないとわかっていて手放したくないもので、収まりきらないものは、別の袋へ。→三軍
三軍が1年、2年の保留期間を経てもお呼びがかからなければ(ほぼかからないとは思いますがもしもに備えて)、その時点で「勝手に処分」してもいいんじゃないか、と私は思います。
理由は、「思い出せないということは、管理責任を果たしていないから」です。
私だったらどうするか B案
自分のスペースじゃない、と割り切って、気にしないことにする。
夫の靴下は管理(洗濯してしまって補充して)しているから、気にしますし、手も口も出すけれど、彼のプライベートスペースなら、任せます。もしスゴイことになっていても、気にしない。
そして、自分のスペースを整えることに力を注ぎます。
私だったらどうするか C案
こっそり勝手に捨ててみて、様子を見る。
気づかないなら、それはそれでいいのでは。
私だったらどうするか D案
理詰めで暴れ堂々と捨てる。
「もっとええのん、こうたるから!」と松居一代方式を試す。
同居嫁がつらくならないために
正直、アドバイスになるようなことは何も言えません。
私自身が同居の経験がなく、祖母につらく当たられる母を見て育ちました。
円満に暮らしていくためには、嫁の努力よりも、迎える側の気遣いが必要、に尽きると思います。
だって、もともとずっとそこに暮らしていた人と、これから暮らす人の暮らしやすさは比較にならないもの。すでに出発点からフェアじゃないもの。ものすごいハンデがあるんだから、ハンデの分、気遣いが必要なのは当然。
私の尊敬する叔母は、それができる人でした。というか今もしてます。
「水くさいくらいがちょうどいいのよ」
本当にそう思います。
なので、嫁が頑張っても限界がある。
迎える側が努力しようよ。
双方努力は必要だろうけど、迎えるほうが多めでやっと「結果の平等」が得られると思うから。
なので、そこそこ、頑張ってるなら、わたし、頑張ってるー!ここまではするけど、これ以上はしない、以上!でいいと思います。といっても難しいと思いますが。
というか、好きで一緒に暮らそう♡って決めた関係じゃないにも関わらず、一緒に暮らしてるだけでも今の時代には大変難しいことをなしえている。
誰のおかげで今のこの暮らし、できてると思ってるの。
と、こっそり、思っていいと思います(言うとカドが立つから、思うだけ)
考え方は、人それぞれ。
一度の人生だから、自分が楽に、気持ちよくいられる思考を選択できる自分でありたいと思います。
それを応援できる自分で、ありたい。
同居してないお前に何がわかるー!!!という思いも、ありです。めちゃくちゃありです。
私だったら絶対そう思います。
あなたがどう思うか、自由です。限りなく自由です。
どう伝えるか、はちょっと考えたほうがいいかもだけど、とにかく思いは、自由です。
ちょっとしんどいなー、なあなたの今日一日が自由で、楽で、楽しいものでありますように。
浜松のライフオーガナイザー、トトノエルの東條真紀でした。
【トトノエルのレッスン、サービスについて】
思考の整理の一歩を踏み出したい方は
ライフオーガナイザー入門講座
浜松計画中
一日の学びで思考と空間を整える力をつけたい方は
ライフオーガナイザー二級認定講座
浜松10/7(土)静岡9/20(水)
お茶会でトトノエたい方は
名古屋、仙台計画中
読書会でこころをトトノエたい方は
M-Cafe浜松 9/14(木)残席2 9/25(月)残席1
こころのトトノエ方を学びたい方は
メンタルオーガナイズエッセンスセミナー 10/19(木)
東條のサポートで一緒に家をトトノエたい方は
「一緒にトトノエル」のご案内 11月以降訪問可能 お客様の声はこちら
トトノエル(東條真紀)について
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